- まえがき(全7項目中の1、以下簡略7-1)
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「MILKCARE」は私がネーミングした名称です。
以前はミルク療法あるいは粉ミルク断食と呼ばれていました。読者の方がもしこのミルクケアによる療養法に僅かでも興味をお持ちなら、ぜひ以下の事実をお知りになってください。 - 健康再生会事件(7-2)
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粉ミルクを飲んでガンをなおす方法を発見したのは、大阪で整体院を経営していた加藤清氏です。昭和47年大学病院の教授からの依頼で40代の女性脳腫瘍患者に整体治療を施術した折り、激しい頭痛から水すら受け付けない彼女に試行錯誤の末、偶然粉ミルクを飲ませたところ寛解を得、さらに3ヵ月後腫瘍の縮退をみた事によって着想されました。
以降ガン患者に対して様々な治療実績を上げ、昭和54年同地にガン自然治癒普及センターを開設、常時20人前後の患者とその家族が宿泊して「ミルク断食」及び整体指圧を施しました。昭和55年名称を健康再生会と改め、主婦の友社ほかから7冊の本を出版、患者と共にテレビ朝日等のワイドショーに出演して発展、隆盛をみました。最盛期には按摩師など32人のスタッフを抱え、7年間で7000人のガン患者を集めました。
同63年一部患者の遺族から告発を受けた大阪府警が、同会長の加藤清氏(73)と同主任(57)の計2名を医師法違反容疑で逮捕。さらに整体師としての無資格が発覚しました。テレビではモーニングショー、ワイドショー、ニュースなどで連日大きく取り上げられ茶の間を賑わせました。
加藤氏に対しては賛否両論・毀誉褒貶の渦巻く中、警察に対し元患者から情状酌量の嘆願書が700通寄せられました。
その中の1通は私の出したものです。大阪府警の押収したカルテの中に私の名前があり、府警からの照会を受けた盛岡西警察署、防犯課防犯保安係の巡査長さんが、拙宅に来訪され事情聴取を受けました。私を被害者と思われたのでしょう、巡査長さんには非常にソフトで、親切な応対をしていただいたのですが、私は被害者ではなく、むしろ大きな恩恵を受けたことを説明しました。まだこのときはミルクを始めて9ヵ月ほどでしたから、余命1年の私にとって、ミルク療法による効果の有無は決定していないが、たとえ無念にも効果が得られないとしても、加藤氏への感謝の気持ちに変わりはない旨を申し上げました。すると巡査長さんは、大阪府警に多数の嘆願書が届いているらしいと仰られるので、私も嘆願書の出し方を教えていただきました。次に一部遺族の告発についての事実関係を説明します。
香川県○○市のYさんは60年10月28日に○○医科大の医師から『奥さんは肺ガンで、リンパ節に転移している。手術は手遅れで6ヵ月の命』と聞かされた。たまたま加藤氏の著書を本屋で見つけ『もうこれしかない』と大阪の健康再生会を訪ねた。加藤氏は『私に任せなさい。ここにいる人はみんな末期ガン患者だけど、こんなにピンピンしている。医者にかかってたら殺されるようなもんだ』と自信たっぷりだった。
L子さんは同年11月19日に入所。1ヵ月間粉ミルク療法や指圧による治療を受けた。退所後も月に1回、大阪へ通ったが治らず、結局、61年5月29日、○○市内の病院で死亡した。 1ヵ月後加藤氏に会って説明を求めたが、加藤氏は『私は忙しい、あなたは何を言いたいんだ』と相手にしてくれなかった。Yさんは『一時は神様のようにあがめていたのに、こんな冷酷な人間だったとは…。彼のやっていることは医療行為ではなく商売だ』と決めつけた。岩手A紙1988.2.18日
以上の告発を受けて大阪府警が捜査に着手した。結果、医師法違反、経歴詐称の容疑で逮捕された。2日後、自供が得られたことと73歳と高齢なのを配慮して「異例ながら」釈放された。そののち書類送検されたが不起訴となった。なお、一部未確認情報では罰金科料10万円ともいわれている。80歳を越えても壮健だったが交通事故により死亡(享年不詳)。
医師法違反の理由は入所者の要請により、整腸剤として所内の常備薬から「強力ワカモト」を与えたことが、「診断」と薬剤の「処方」にあたると判断されたものです。
(週刊SK)
無資格営業の理由は按摩師、指圧師の資格をもたずに同行為を行い営業利益を得ていたことが問われました。
(週刊YU)
按摩師、指圧師の専門校への受験資格は高卒からで、高等小学校卒の加藤氏には新たに「高等学校卒業程度認定試験」を受けなければならず、また卓越したその技術の持ち主であるだけに遵法への道は迂遠なものでした。
- 加藤清氏の面影(7-3)
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たしかに加藤氏はYさんの記事の前半にあるように、私にも『私に任せなさい!ガンは必ず治る』といいました。さらに私をフロアーに寝かせて『ここも入ってる(ガンがある)ここにも入ってる』と、指圧師らしい太い指で触診した結果、両肺、耳下リンパ、胃、肝臓、膵臓(これは問診で以前膵臓炎にかかった事を申告したから?)、腸もガンに侵されているといいました。それどころか付き添いできた妻をも触診してまたも「入ってる入ってる」というのでした。
ですから加藤氏の第一印象は言葉は悪いですが「何という馬鹿な人なんだろう」というものでした。これでは医師法違反ですぐに捕まってしまうと思えたからです。しかし私にとってこの馬鹿さ加減はどこか胸のすくものがありました。騙そうという思いは微塵もなく、この療法を本当に信じ込んでいることがありありと迫ってくるのです。この大馬鹿さ加減にはきっと何かがあると感じました。私は幼いときからよく日曜学校に行ったので、歴史上最大のお馬鹿さんを知っていました。
現代の信者はイエスを信じるために「信じようとする努力」が必要かもしれませんが、あの古代カナンの地でイエスに従った、いわゆる弟子といわれる人たちにとって、イエスを信じる必要はまったくなかったと思います。そこにはただ感動というか何というか言葉を遥かに越えたものがあり、それが真に彼らを魅了したのだと思います。
また舎利弗や迦葉などの弟子と釈迦の関係や、孔子とその弟子の子路や顔淵との関係もまったく同様のものだったと思います。
加藤氏をイエスや釈迦或いは孔子になぞらえようとするのではありません。加藤氏にそんな風格は微塵もありませんし、小柄で筋肉質にどこか猫背のようで、さらにハンチングなどをかぶっていて、ポパイを連想させるようなところがありました。高い知性や品格も感じませんでした。だが氏には自身も気づかない「徳」があったのです。健康再生会に集まった7000人の方々のほとんどが、無意識の裡にこの不思議な「徳」に共感したのだと思います。氏の長い人生は社会的成功という自己顕示の欲求に牽引されていました。しかも成功には遠く及ばぬ失敗の連続だったと思います。家族にも多大な迷惑をかけたことでしょう。
氏の考える成功とは例えば、同業で同世代の指圧治療の確立者、浪越徳治郎氏のような社会的認知を得ることでした。人に知られること…。自己顕示の欲求はたいていそんな小さなことに収斂されるものです。氏も例外ではありませんでした。
氏は私に「浪越徳治郎は私の友達だ」といいました。しかしそれは風呂敷だと思いました。私からすれば加藤氏は「浪越徳治郎」と肩を並べるか、あるいは凌駕するほどの人に思えました。
なるほど確かに浪越氏は華麗なエピソードの持主で、例えばマリリン・モンローがディマジオと新婚旅行に来日した時、急激な胃痙攣におそわれた彼女に指圧治療を施して見事に快癒させたことや、吉田茂への施術。モハメッド・アリに招請されてアメリカにわたり、指圧治療を施したことで世界中に名を轟かせました。しかし浪越氏の真の名声はそのような所にあるのではありません。氏は幼少時、リウマチで苦しんでいる母に見よう見まねで揉み療治の真似事をしていた時、指でおすと母が楽そうな顔をするのを見て、成長とともに研究を重ね、後年指圧の学校を創立して指圧を広く普及させました。
世間の喝采する所はたいてい派手な偶然性の強い事柄です。そして世間が非難するのもまた同様な所でしょう。加藤氏の所にくるガン患者はほとんどが医学に見放された末期ガンの患者でした。患者の便を素手で手のひらに乗せ、指で便をつぶしてその状態を調べる。またあるときはミルクを飲めない老人には口移しでミルクを飲ませたりもしました。私の時にも便器に広がった水溶便に鼻が付くほど顔を近づけて臭いを確かめていました。この場合私の方で恥ずかしいからやめてくれといいたいくらいの気持ちになりました。
加藤氏の顕在意識の中ではおそらく自己顕示の野心がかなりの部分を占めていたと思われますが、加藤氏自身の意識しないところでは「献身」という言葉そのものの行為が行われていました。自分自身の美徳を認識しえないほど自分に成りきっているのが加藤氏の姿だったのです。自身では全く気づかない所で献身が惜しみなく溢れているのです。
私は初めて生きている人間の中に、バタイユが蕩尽という言葉で表したかったものを見たように思いました。「とうじん」は湯水のごとく使い尽くすという意味です。
人間は安全な生活のために社会をつくりました。しかしこれは人間が本来持っている動物的能動性を失うものでした。バタイユにとって動物的能動性は創造性と同義語でした。
これが長期に続くと人間は閉塞的抑圧に耐え切れず、革命や戦争といった暴力で動物的能動性を爆発させました。安定のあとに必ず戦争が起こるのはこのような理由がありました。バタイユは暴力は否定するが、既存のルーティン化された社会性を捨てさることによって新たに自己を他者に蕩尽し、本来人間の持っていた動物的能動性を取り戻すことで、より高次な人間活動を創出できると考えました。(これはもちろんつたない私見です)73歳の老人が医師法違反や患者の家族との対人関係の破綻をも顧みず、ただまっすぐにガン患者の救済に夢中になっている姿は、硬直化した社会性から跳躍して、溢れんばかりの生命力を惜しみなく使い切ろうとする尊い行為に見えました。
いったい加藤氏は何人の末期ガン患者を救済したことでしょう。広い世界のどこにかつてこのようなことがあったでしょうか。加藤氏は卑小な人でしたが、その行いは偉大だったのです。
『天使とは、美しい花をまき散らす者ではなく、苦悩する者のために戦う者である』とナイチンゲールはいいました。
加藤氏の末期ガン患者への献身的な態度や、法律をも恐れぬ患者への励まし、あえて争いや非難をも回避しないほどの療法への絶対的な信頼。加藤氏は苦悩する者のために一身をなげうって戦ってくれた立派な人です。偉大な者が偉大なことをするよりも、卑小な者が偉大なことを為し遂げることこそが真に人間的なことではないでしょうか。Yさんに加藤氏の立派な側面を理解してもらえていたなら、事件は起きなかったと思います。Yさんは最愛の奥様を何としても救いたかったので加藤氏の有用面しか見なかったのでしょう。これはYさんのみならず、多くの患者の家族もまた医師に対して有用面しか見ないものです。ですから患者が亡くなった時、医師は家族の醒めた視線に心を痛めるのです。事実私の知人も最愛の家族を失ったとき、短い時間ですが医師を憎みました。Yさんには奥様を喪失した悲しみがあまりに大きかったので、喪失感は怒りに変わり、怒りは加藤氏への憎しみに変わったのだと思います。
このような局面で医師は遺族の怒りや悲しみを受け入れ、さらに遺族の心を鎮めるという難しい行為を穏やかになし遂げます。ヒポクラテスの誓いを持ち出すまでもなく医師は、医術と患者と自己の尊厳を三位一体として守り抜くという、およそ人間として最高級の教育を受けています。しかし加藤氏はそのような教育があることを、おそらくご存じなかったと思われます。なぜなら加藤氏のミルク断食を、科学的根拠を持たずに批判する医者の態度からは、高級教育の片鱗も感じられなかったでしょうから…。
加藤氏からしてみれば不本意にもあまり責められると、つい顔色を変えてしまったかもしれません。それは自然で素朴なことですが、その素朴さが仇となりました。
しかしだからといって加藤氏の偉大さは毫も動ずることはありません。結果的にL子さんは余命6ヵ月を1ヵ月長く、7ヵ月生存されたわけですが、その1ヵ月を恵みととるか、加藤氏によってもたらされた悪夢ととるか、Y氏の選択次第だったというのは、あまりにも高所からの空言だとお叱りを受けるでしょうか。
Yさんはご存命なら現在85歳におなりです。
Yさんのご健勝とL子さんのご冥福を心よりお祈りいたします。 - ミルク療法に批判的な記事(7-4)
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この騒動の中、加藤氏に対して賛否両論・毀誉褒貶が渦巻いていたといいましたが、もう少し加藤氏への否定的な意見を紹介します。
後段に白鳥碧の意見Aがあります。
T・S氏(財) G研究会・G化学療法センター副所長氏の談話
『粉ミルクや生卵で栄養をつけるくらいで、ガンが治るとは信じ難い。指圧でガンが治る根拠もありません。それにガンだと患者さんに告知しているようですが、検査設備も技術もないのにどうしてそう言い切れるのでしょうか。』週刊YU 1988.3.6日号
後段に白鳥碧の意見Bがあります。
F・L氏(S大教授) 大腸ガンの権威
『直腸ガンは、胃ガンなどに比べてタチがいいんです。お年をめした方などは進行が遅いとすれば本当に効いたかどうか、分からないですね。ビフィズス菌はガンの免疫力を高めるというので一時使ったことがあります。ガンに直接吹きかけたこともあるんですよ。でも思ったほど効果はありませんでした。』 週刊YU 1988.3.6日号後段に白鳥碧の意見Cがあります。
S・H氏 G研究会G研究所所長(病理学)
『こんな療法でガンが治るならガン治療はもっと進んでいるはず。患者の体質によりいちがいにどの療法がいい悪いとはいえないが、化学療法は着実に進歩しており民間療法に頼るのは危険だ。人間は弱いものだから、何かに頼りたいという思いがあり、精神安定の面では効果があるかも知れない。しかしそれと治癒は別。ガンは強いもので、抑えられているときは安定状態が続くが、いったん動きだすと手がつけられなくなる。断食で栄養が断たれようと、関係なく大きくなる。』YU新聞 1988.2.18日
- 批判的な記事に対する白鳥碧の意見(7-5)
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白鳥碧の意見A
いつも思うのですがこのように医学上きわめて大切な事柄について、この3人の医師は確認も取らずに軽い口調で論評をしていますが、ご自分の分野の事でもこんなに軽い扱いをするのでしょうか。
「栄養をつけるくらいで」とは誰から聞いたのでしょうか。ああ何という無責任な論評でしょう。おそらく伝えた者の解釈を鵜呑みにしたのでしょうが、ミルクは栄養を付けるのが目的ではなく、腸内細菌叢を整えるのが目的なのです。
私だったら検証していないので論評できませんと断ります。どんな小さな事でも軽率に扱えば、大きな事にもその軽率さが色濃く投影されるものです。医師は崇高な職業です。人として誇りと責任を堅持しなければなりません。俗世の塵埃にまみれるうちに崇高の念をお忘れになったのでしょうか。この方の先生もこの程度の人だったのですか。ご自分を粗末にするということは、師をも粗末にするということです。
現在のガン治療は早期発見の精度を高めることが主眼です。しかし既に末期の患者さんはどうすればいいのでしょう。加藤氏はそのような方に向き合ったのです。
加藤氏を鴻鵠とはいいませんが、その志を知らぬ燕雀の姿は見たように思います。白鳥碧の意見B
直腸ガンはタチがいいとのことですが、これはおそらく作家三浦綾子さんを念頭においていわれていると思います。たしかに直腸ガンは比較的穏健ですが、三浦さんは82年に発症、手術をしました。3年後に再発、加藤式ミルク療法を始めます。健康再生会事件は88年です。再発してから3年間、医学上の治療は一切していません。医学的に見れば無治療で3年間、生活上の障害となるような体調不良や排便の困難が一切ないということは考えられません。この点を注目すべきなのに、見逃していると思います。ミルク療法に先入観と偏見があったからでしょう。またビフィズス菌をガンに直接吹きかけるというのも凄いと思います。これは加藤氏以上の発想です。
白鳥碧の意見C
「こんな療法でガンが治るなら」というが、治った人もいるのに顧みなかったのは一体誰ですか?研究会研究所なんて大層な名前を付けるなら細大漏らさず研究対象にすべきだと思う。たとえば5年生存している民間療法がどのくらいあるのかをデータ化し、さらになぜ治っているのかを真面目に追求すべきではありませんか。『そんなこと』と思われるかも知れませんが、『研究所』で治らなかったケースをデータ化して、さらになぜ治らなかったのかを真面目に追求するよりも、よほどポジティブで全国民の利益になるのではありませんか。
このS・H氏はわが国から多大な補助を受けて、国民を背負っているということをもう一度心の底から理解すべきです。『大雑把な質問に大雑把に答え』貴重なヒントが隠されているかも知れない民間療法を見下すようなこの狭隘さではS・H氏には、多方面における様々な見落としがあるのではないか。
2015年現在、腸内フローラの再確認により、加藤式粉ミルク療法の腸内環境に及ぼす改善効果が見直されつつあります。現に本年2月22日放送のNHKスペシャル『腸内フローラ ~解明!驚異の細菌パワー』によれば、ガンを引き起こす「アリアケ菌」が存在し、この菌が出すDCAという物質がヒトの細胞に作用して、細胞の老化を促進しガン化させるということが解明されたとのことです。さらに腸内フローラからこの菌を除去できれば、ガンを未然に防ぐことができるというのです。ミルクケアはまさしくこの腸内フローラの環境を健康に保ち、なおかつガンにつながる因子を腸の自然な運動によって除去しようとするものなのです。
ある否定された現象が時を経て再確認されることは科学にはよくあることですが、S・H氏の先入観に満ちた物言いも行政官的医学者にはよくあることだと思ってよいでしょうか。
「人間は弱いものだから、何かに頼りたいという思いがあり、精神安定の面では効果があるかも知れない。しかしそれと治療とは別(中略)断食で栄養が断たれようと、関係なく大きくなる」とS・H氏はいいます。
ミルクケアのベーシックアイテム、ミルキーウェイ1食で約350キロカロリーあり、1日3回飲むと約1050キロカロリーの熱量摂取ですから、決して断食ではないのです。さらにネクタールでは1食で約600キロカロリーあり、アンブロジアでは700キロカロリー近くの熱量です。伝聞ばかりで判断して、自分で確かめないことをいうのは間違いのもとです。
また「人間は弱いものだから」「精神安定の面では」などと安直に精神・心理を語っていますが、それなら次のようにいうべきなのです。昨年8月、ガン患者7人とモンブランに登った“生きがい療法”の実践者、伊丹仁朗医師(岡山県倉敷市)はこんな感想を漏らしている。『患者本人にとっては、“生きる”ためにはどんな療法でもいいのです。最新の医療でさえ、ガンを根治できず医者は最後にサジを投げ《家に帰っておいしいものを食べて、好きなことをおやりなさい》と言う。見放された患者が民間療法に走ることに医療の側も反省しなければならない。末期患者に対し、その病気に立ち向かう勇気をふるい立たせてあげなければなりません。粉ミルクがいいと聞けば、それを患者が試してみることは、本人の不安を少しでも和らげるでしょう。手術、放射線、薬物療法のワク内だけの研究が中心で、それ以外の民間療法に無関心なのがガン医療の実情ですが、もし民間療法でよくなった人がいるなら、現代の医学の側からキチンと研究すべきです。』
週刊YU 1988.3.6日号
医学者はほかの科学と違って直接人間を扱う特殊な存在です。常に千変万化する生命体を扱うというこの難しい職務に追いまくられて、自身の人格を陶冶する時間を持てないとしたら、孔子のいう単なる『器』で生涯を終えてしまうのではないかと危惧されます。何とならば或いは本人自身はそれで良いとしても深い人間的洞察を持たぬ単なる『器』に診てもらわねばならない患者には迷惑なことではないでしょうか。
「そんなことは学生時代に十分教わった」と仰るでしょうか、それなら今般の言動はいかがなものでしょうか。若いときの清廉な情熱を老いてもなお持続するのはきわめて難しいものです。どんな人間も十全の努力はできません。
化学療法は進歩しているといいますが、当時のガン死亡者は年間約16万人でした。2014年の予想は36万人です。平均寿命の向上による患者数の増加を考慮しても、本当に化学療法は進歩しているといえるのでしょうか。5年生存率が上がったといっても、「患者よガンと戦うな」の著者で医師の近藤誠氏がいうように、ガンモドキも数の内に入れての統計なら、本当の5年生存率はあやしいものではないでしょうか。
なお告発者となったYさんの奥様L子さんが入院していた病院の医師が’94年11月抗ガン剤の臨床依頼をしてきた製薬会社にワイロを要求し百数十万振り込ませたことが発覚しました。宝島社刊 別冊宝島248抗ガン剤は効かない!215ページ
- ミルク療法体験者の体験談と肯定的な意見(7-6)
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次に加藤氏に肯定的または好意的な記事を紹介します。
一方いまも支持するのは作家、三浦綾子(※1)さん(65)北海道旭川市。57年に直腸ガンの手術をしたが、3年前に再発。関西に取材旅行中に道場に入った。
『あそこに通うようになって少しすると、ウサギのフンのようだった便がバナナのようなしっかりしたものに変わりました。顔が真っ黄色だった患者のおばあさんが、日に日にいい顔色になっていったり、体の痛みがなくなった人がいたり、コバルトの副作用で、まっすぐ歩けなかった方がちゃんと歩けるようになったり、…。道場にいると、ほかの人の治療効果を目の当たりにすることができます。「私も治るかも」と希望が湧いてくるのです。
薬は一切服用せず、朝夕、粉ミルクを飲み、マッサージをし、散歩をするという生活を今も続けておりますが、あれから寝込むこともなく、仕事もとてもはかどっております』と三浦さんはいう。今度の摘発については『もちろん法律は守るべきですが、加藤療法をインチキだと扱ってほしくないのです。多くの人の命を、これから助けるかもしれない粉ミルク療法をなくしてしまうとしたら、助かる命も助からなくなってしまうから…』と最後はもう涙声だった。週刊YU 1988.3.6日号
〈私が見つけた名治療家32人〉という自著の中で加藤式療法を紹介した作家の遠藤周作(※2)さんは、『法律違反はよくないが、現実にこの療法で社会復帰した人がいる以上、無視せずに研究対象としてもいいのではないか』と語る。
YU新聞(横浜版) 1988.2.18日
「田鍋K子さん(43=大阪市)は胃ガンだった。
『胃ガンの末期だったんです。55年の11月湯河原病院(大阪市)に入院しました。私はただの胃潰瘍だと思ってたんですが、父が医師から『駄目だ』といわれていたんです。
12月10日に、父が加藤先生を連れて病室に来ました。そこで先生に指圧していただいて“あんたはがんだから、ここにおったら殺されるよ。僕が助けてあげる。”とおっしゃいました。翌日から50日間、再生会に入ったんです。退院したときは、とてもいい状態になりまして、その後、56年半ばごろに手術しましたが、いい状態で手術したので成功したんだと思います。私は加藤先生のお陰で助かったと思っています』
本誌が入手した56年のリストで、がんだったと確認のとれた16人のうち、4人の元患者が現在もちゃんとした生活をしている。データとしてはあまりにも数少ないので、統計的な意味はまるでないが、それでもそのわずかなデータの中でも25%というのは、かなりの数字である。4人のうち2人は医者から見放された患者だ。」週刊SK 1988.3.10日号
愛知県半田市元市長、竹内弘(※3)さんは、クールな支持者の一人とでも言うべきか。
「一日にたばこ百本、ウイスキーはボトル一本」の豪傑市長がノドの異常で声が出なくなったのは、市長をしていた五十六年七月のこと。「病院に行き、『一ヵ月の入院加療が必要』と言われ、咽頭ガンと直感した」という。
竹内さんは、やはり尿道ガンの市議と二人で、“治療”を受けた。「患者は子宮ガンや直腸ガンなどで医者から見放された末期の人がほとんどなのに、みんな明るく、“加藤教”の信者みたいなんだ。私は『何が教祖だ』と思っていた[中略]ところが、入所三、四日して、声が出るようになったし、一緒に入った市議も良くなってきた。彼の場合半田市に戻って市民病院で検査したら、ガンが消えてる、と言われたそうだ。ええ、もちろん、今も元気ですよ。
私は翌夏肺ガンになり、これはすぐ手術しました。そのとき加藤さんに『オレは手術するけど、ミルク療法だけは否定せんぞ』と言って、病院食は一切食べなかった。いまも毎朝、粉ミルクは飲んでます。私の咽頭ガンは、医者は私には言わなかったのだけれど、支持者が関係先から確認しているので、これは事実です。私は加藤さんが医者でもないのに『あんたは、ガンや』と言うのも問題でしょう。しかし半田市民にも加藤式療法で喜んでいる人は多数おり、みんな言ってますよ『加藤さん気の毒だ』って。
ミルク療法は、医者でも何でもない男が偶然にも発見した療法と思ってますが、今度のことで裁判になり、世の中で黙殺されていたこの療法が世に問われることになるんであれば、裁判をむしろ歓迎したい。」週刊YU 1988.3.6日号
注 ※1
三浦綾子【みうらあやこ】(1922-1999)
小説家。北海道生まれ。旭川市立高女卒。
肺結核による13年間の闘病中にキリスト教の洗礼を受ける。1964年《氷点》が朝日新聞1000万円懸賞小説に1位入選。以後作家生活に入る。名作《塩狩峠》《続氷点》や歴史小説《細川ガラシャ夫人》《海嶺》など、いずれも人間の原罪と神の愛を追求したもの。自伝的な小説も多い。
パーキンソン病に罹患、闘病中惜しまれながら逝去。注 ※2
遠藤周作【えんどうしゅうさく】(1923-1996)
小説家。東京生まれ。慶應大学仏文科卒。
フランス留学を経て1955年三田文学に発表した《白い人》で第33回芥川賞を受賞。以後《海と毒薬》《沈黙》《深い河》などで、キリスト教信仰と日本の精神風土との異質性の問題を掘り下げ、代表的なカトリック作家となった。作品多数。《狐狸庵先生》のユーモア小説も人気を博した。注 ※3
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竹内弘【たけうちひろし】(1924-2005)
政治家。元愛知県半田市市長。
昭和30年市議初当選、以来連続3期12年にわたり半田市の発展に貢献。昭和50年半田市長に当選就任。平成11年の退任まで通算5期20年の永きにわたり、「健康で明るく豊かなまち」をめざし、常に「市民とともに」を信念にその実現に努力するなど、地方自治の発展と市政の振興並びに市民福祉の向上に多大の貢献。平成17年通算8人中7人目の名誉市民に推挙。なお8人目は「ごんぎつね」の新美南吉である。 - あとがき(7-7)
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記事に出てくる人名および機関名、地名などはすべて実名で表記されていましたが一部を除いて伏字にしました。
また私は当時の新聞や週刊誌の記事を持っています。記事そのものを掲載しなかったのは、渦中の報道特有の偏向や品位の欠けた表現があるからです。もし記事をそのまま掲載すればインターネットのシステム上、加藤氏とそのご遺族、および全関係者のプライバシーの保護はほとんど不可能です。
偏向や品位を私が判断して良いのかというご不審やお叱りは甘んじて拝受いたします。加藤先生のガン患者に寄せる共感と情熱は希有のものでした。ナニワには「どあほう春団治」と呼ばれた落語家がいましたが、私は加藤先生を『おおばかどあほう加藤清』と呼びたいです。加藤先生は千葉県出身ですが、大阪にきて大輪の花を咲かせました。ミルク療法は大阪が育てたものです。飾らず、気取らず、ホンネが活き活きと王道を歩んでいる所だからこそ、このような世界的にもきわめてまれな活動が生まれたと思っています。その後健康再生会は閉鎖され事実上ミルク療法の灯は消えました。『多くの人の命をこれから助けるかも知れない粉ミルク療法をなくしてしまうとしたら、助かる命も助からなくなってしまう…』と三浦綾子氏が涙を流し恐れたことが現実になってしまったのです。
もし私がこの直後に悪性縦隔腫瘍に罹患していたら現在これを書いている私は存在しなかったでしょう。28年間で本来助かるはずだった人はどれほどいたでしょうか。それを思うと無念でなりません。28年後の現在、腸内フローラの再確認が行われ、腸が免疫機能に深く関わっていることが証明されつつあります。
ガンの再発、転移を防ぐ方法は、腸内フローラのさらなる研究から発見されるでしょう。また現在の暫定的レベルで考えるなら、加藤氏がミルク療法の理論的根拠とした、千島喜久男博士の小腸造血説も、新たな角度から再び光の当たる時節が到来しているのかも知れません。
これまで科学的根拠も提示せず、自己本位の印象のみで加藤式粉ミルク療法を否定してきた人々に次の言葉を贈ります。『汝に知ることを教えんか。知れるを知るとなし、知らざるを知らずとせよ。これ知るなり。』
論語・為政第二17
白鳥 碧